第三節 トータル・コミュニケーション――理論と実際

聴覚障害児教育では長年にわたって指導方法に関して歴史的論争がみられる。この進行している論争に立ち入ることは本書の目的ではない。むしろ、合理的な変化の代役を務めたり、知識の成長を抑えつけたりするような仮説を問題としたい。一つの方法あるいは方法の寄せ集めで、すべての子どもたちゃ子どもたちの親の個別的なニーズに応ずることができないことは明らかなことである(リング、一九七五三この見解はギヤローデット大学から出版されている多くの人口統計学研究によっても支持されている。これらの研究は、聴覚障害児の言語と教科の成績が、使用されているコミュニケーションの手段に関係なく、一般にひどく低い傾向にあることを示している。トータル・コミユニケーシヨンプログラムと口話プログラムの両方に従事している人は、成功を示すこともできるし失敗を示すこともできる。そこで、トータル・コミュニケーションと口話プログラムを比較するよりも、両者の選択に関係させながら理論と実際を議論していくことの方が意味をなしている。ここでは、トータル・コミュニケーションに関連したいくつかの仮説が検討されるであろう。これらの問題は、姉妹編である『聴覚障害児の早期口話教育』においても同じように議論されるであろう。
トータル・コミュニケーションの理念は、手話(必要な時には、指文字を合む)と話しことば(残存聴力と読話を通して)を同時に提示し、コミュニケーションの二つのタイプのうちのいずれか、あるいは両方を子どもに知覚させ、使用させようとするものである(ギャラットサン、一九七六三この理論は、口話コードと手指コードの両方の学習(受容と表出コミュニケーション)は、お互いに強化するものであるとする(ギャラットサン、一九七六三しかしながら、トータルコミュニケーションに関して集められた現在までの資料は、ギャラットサンが述べている理論を支持していない。たとえば、モiズ、ワイス、グドウイン(一九七八)は、六年間にわたって研究協力者といっしょに行った早期教育プログラムの比較横断的研究に関する研究報告を要約している。彼らは、同時コミュニケーションが、口話の受容スキルを促進させなかったし、優れた話しことばの産生に導かなかったことを見出した。どちらかと言えば、彼らの結果は、逆のことを示すように解釈されうる。彼らは、「早期手指コミュニケーションそのものは口話の受容スキルを促進するために必ずしも必要でない」と述べている。それにもかかわらず、トータル・コミュニケーションは、彼らが研究したプログラムの中では(すべてではない)多くの子どもの成績を向上させている。これらの結果は、手話言語が重要な役割を果たしたことが拒否されないように「同時的」という理論的枠組みを討議すべきであり、修正すべきであることを示している。というのも、手話言語が重要な役割を果たしたことは、話しことばの獲得に役立つという根拠のない主張と関係しているからであろう。この見解は、ホワイトとスティーブンスン(一九七五)が行った研究でも同様な結果が示唆されている。

専門家にとっても手話と話しことばを効果的に組みあわせることは容易なことではない。それは、手話言語や手話方式は、話しことばとは異なった割合で算出されるからである(ベルジーとフイシャー、一九七二三二つをいっしょに提示することは、手話(ボーンスタインら、一九八O)、話しことば(コークリとベイカー、一九八Oてあるいは言語を無力にしがちである。言語に関してマーモールとベチト(一九七九)は、手指言語と手話・話しことばの同時コミユニケーシヨンに非常に熟達しているとみなされる教師たちでさえも、発話のたった五パーセントしか確実に翻訳して手話表現をしていないことを見出した。連辞、主語、動調、代名詞とその他の文法的カテゴリー等は、教師たちが手話に翻訳をする際に省略した要素である。このような環境で二つの形式のコミュニケーションを学ぶことは、たとえ、多くの子どもができるとしても困難なことにちがいない(このことはすでに高いレベルの能力をもっ大人が二つの形式を同時に使用することとはまったく異なることである)。手話を選択し、手話を使う状況の特殊学校に在籍しているほとんどの子どもの発話、が、一般的に不明瞭あるいはほとんど明瞭でない、という傾向にあることは驚くべきことではない(ジエンセマとトライパス、一九七八)人びとが、「証拠」あるいは「証明」として何を受け入れるかにより大きく異なってくる。しかし、たいていの人びとは、これらの研究が、多くの子どもたちにとって口話と手指コードを同時に使用することが互いに強化している、あるいは、強化するにちがいないとする理論を本気で疑うことに同意するであろう。手話と話しことばを同時に提示することの価値、そして、トータル・コミュニケーションの定義を問題にすることは、手話と話しことばの両方の訓練を行うというトータル・コミュニケーションの目標あるいは方式の価値を否定するものではない。大人の目標としてのトータル・コミュニケーション(すなわち、同時コミュニケーション)は、価値のある、理にかなったものである。しかし、そのために要求されるスキルは、口話と手指コードが最初、別々に提示されるならば、言い替えると、同時提示よりもむしろ継時提示であるならばよく学習されるかもしれない。ベックマイヤー(一九七六)は、博士論文の研究でこのような手続きを示唆している。話しことばと手話を継時的に提示するという考えは、もちろん多くの異なった方法で応用されている。それらの中には本書で執筆している人たちが採用しているものもあるが、研究は、こうした考え方をさまざまに応用できるように訓練セッション内で様式を選択することをはじめ、あるセッションから別のセッションにおいて様式を変更することを合む必要がある。予想される結果の中には、比較的いい標準の話しことば、補聴器と残存聴力の使用になど広く含むであろう。こうしたことは、つい最近まで就学前プログラム(モーズ、一九七八)、あるいは特殊学校や特殊学級に在籍しながら残存聴力を有効に使える子どもに対して充分な注意を払ってこなかったのである。(ロス一九七七、カーチマーとカーウイン、一九七七)。
トータル・コミュニケーションが意味するものは、早期教育や教室の枠を超えている。トータル・コミュニケーションの使用が徐々に広がるにつれて、多くの科学者の関心を引くいくつかの議論が生じてきた。手話方式の単一効果を探索しているものもあれば(ボーンスタイン、一九七九、ウイルパ、一九七六)、測定ストラテジーを開発し、客観的に結果を得て考察を試みたものもある。また、トータル・コミュニケーションの聴能力・口話要素のもっとも効果的な実践を追求しているものもある(ギャラットサン、一九七六三トータル・コミュニケーションの出現は一般市民に聾というものと聴覚障害者の著しい成果に対する多くの認識を導いた。手話言語それ自体は権利としての言語として受け入れられ、聴覚障害がかつては、聾と関係づけられていた汚名をもはやもっていない(ウイルスン、ロスとカルパー、一九七四)。不幸にも手話言語と音声言語のどちらが指導に多く役立つかといった手話言語と話しことばの相対的な価値の議論に、たくさんの感情的なエネルギーが依然、費やされている。トータル・コミュニケーションあるいは口話プログラムを行っている関係者は、熱心さを必要とするが、熱狂者になるべきでない。口話を選択するかトータル・コミュニケーションを選択するかという手続きは、まだ、充分に評価されていない。

したがって、それぞれが基礎をなしている多くの仮説を証明し、棄却し、修正するためには膨大な研究が必要である。
この状況は、新しい手続きが導入され、技術が進歩するにつれて変化がおきるので複雑になる。ある早期教育を選択することが他の選択よりも相対的に有効であるという直接的な関係を示す研究は、ごくわずかであり、研究の多くは計画、結果の解釈、あるいは両方の面で科学的に根拠が不充分である。そのためにプログラムの選択については、ここでこれ以上ふれないことにする。二つのものから一つを選択するという勧告は、しばしば次のようなことに基づいている。それは、一つあるいは二つの事例から拡大して一般化してしまったり、仮に二者択一で選んだために永続的な損害が起きてしまうという根拠のない主張をしたり、都合のいいことだけを報告したり(すべての専門家がある点に賛成したことを強く示唆している報告)、トータル・コミュニケーションか口話かという選択において失敗を必ず子どものせいにし、手続きのせいにしなかったり、自分が選択した立場を有利にする例ともう一方の反対の立場の悪い例を比較したりする。こうしたことを前述した研究に関与した人たちは信じないであろう。彼らは、自分自身が賛成し、熱中して実践している早期教育の選択のタイプをただ単に説明しているだけである。
本書の執筆者たちはこのような方略を受け入れていない。執筆者たち自身が自分でいいと思い、エネルギーを費やした早期教育の選択を述べるだけである。

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